戦史の大海原へ……

コラム

【1.越中島台場】

幕末期、江戸湾に乱立していた台場(砲台)の一つである越中島台場は、ちょうど現在越中島キャンパスがあるところに存在していました。その名残として、キャンパス内には当時使われていた台場用の石がいくつか残っています。

越中島台場について更に詳しく知りたい方は是非本学の水中考古学という講義を履修しましょう!

【2.最後の鉄獅子、四式中戦車】

四式中戦車はWW2最末期に開発された日本の中戦車です。その性能は火力・防御力・速力全てが”ほぼ”世界平均にまで強化されたものであり、遅ればせながらも日本の戦車開発がM4(米)やT-34-76(ソ)クラスに達したことを示していました。

個人的にはこの四式中戦車はWW2期において当方が最も好きな戦車の一つです。…ただ誠に残念ながら、四式中戦車が量産され、実戦投入されたであろう昭和20年(1945)末頃には、既に中戦車の域を超えた主力戦車(英センチュリオン、米M26パーシング、ソT-54)の量産が始まっていたのも事実なのですが。

【3.軍艦多くして艦隊山を越える】

3. 【軍艦多くして艦隊山を越える】
1453年5月29日、古代ローマ最後の末裔であるビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルはオスマン帝国により陥落しました。その際オスマン軍は、防鎖により頑強に守られた金角湾を突破すべく山を切り開いた通路を使用し艦隊ごと山越えをする事で封鎖を破りました。

油でコーティングされた大量の丸太に乗り、ビザンツ帝国そして中世という一つの時代すらも終焉せしめたオスマンの大艦隊。かくして欧州世界は視線を西へと向けていき、やがて近世という新たな時代が到来します。本会ではこうした中世期についても積極的に調べていきたいと考えております。

【4.小笠原一番乗りを目指して】

4. 【小笠原一番乗りを目指して】
越中島キャンパスのシンボルとも言える明治丸。実はこの船がなければ小笠原諸島は日本領とはならなかったかもしれないのです。明治の初めごろ、小笠原諸島の領有権を主張していた英米の軍艦よりも数日早く小笠原に到達できたことが決定打となり、日本の小笠原領有権の基礎を固めることができました。

また、明治丸は我が国に現存する唯一の鉄船でもあります。越中島の学生はもちろん、品川の学生も興味があれば是非一度訪れてみてください。

【5.】

編集中